絶対に家でなければとかではなく、だた現代は家族や環境、医療者の助けなど全てが整わないと家で産まれ死を迎えることは難しい。
年明けから、急に父が歩くのがやっとになり介護がはじまった。
私は、父の老いを認めざる負えないことや会えなくなるかもしれない寂しさに、帰り際父の背中をなでながら「また来るね」と言葉にするとすぐ涙があふれてしまう。
母はいつものように父の食事の世話から、夜中は何度もおむつの交換をしているが、どうしてそこまでできるのか・・・。母は家で父を看取りたいと決めているのだと思った。
時に二人で言い合いながら、時には大笑いしながら。
58年間を共にしてきた二人にしか分からない絆。
母が疲労で倒れてしまうのではないかと私の心配をよそに、「弟(私の)や孫たちが手伝ってくれるから大丈夫~」とラインが入る。
今日も実家の新潟の降り止まない大雪に、さすがに地元の人たちもねを上げながら、雪の片付けに追われている。
冬の間は、ほぼ太陽を見ることはできないこの豪雪地帯で生まれ生きてこれたのも両親のおかげ。
早く太陽を見せてあげたいと故郷に思いをはせながら、今日もお産を待つ日々です。
出張さんばステーション朝霞
たかせ助産院 髙瀬洋子